スリランカ旅行2日目。
世界遺産・ダンブッラ石窟寺院に向かいます。
ダンブッラ石窟寺院とは、2200年以上の歴史をもつ、スリランカ最大の石窟寺院です。
ニゴンボのラマダカトナヤケホテルから、車で約3時間半の距離です。旅のしょっぱなから大移動です。
余談ですが、スリランカの主な観光地を一週間で巡ろうとすると、それぞれ距離があるので、毎日このように半日ほどは移動に費やすことになります。少しハードですが、地域ごとに異なる景色や文化を見ることができて楽しい、とも言えます。
ダンブッラ石窟寺院に到着!
さて、途中に一度休憩をはさみつつ、ダンブッラに到着です。
石窟寺院に向けて、高さ約180mの岩山を登っていきます。
少し登ったところからの見晴らしです。写真だと非常に見づらいかもしれませんが、明日登る予定のシギリヤロックも見えます。
約10分ほど登り、息があがってきたところで、石窟寺院に到着です。
入り口で靴を脱いで中に入ります。靴を預ける場所があります。チップが必要です。
靴下は履いたままで大丈夫でした。晴れた日は地面が熱くなるので、靴下は履いたままのほうが良いかもしれません。
寺院の手前には、碑文が置かれていました。
ニッサンカ・マッラ王 Nissanka Malla(Kirti Nissanka、Kalinga Lokesvaraとも呼ばれる。在位1187-1196)の時代のもので、当時のシンハラ文字で記されています。
王の仏教に関する功績を書き記しており、王のスリランカ島内の巡礼やダンブッラ石窟寺院を含む聖地の保存管理などについて書かれているそうです。
今のシンハラ文字とは異なりますが、わりと面影を残しているように思います。
日本でいう平安時代の変体仮名とかそういう感じですかね。わかりませんが。
↑こちらの四角いくぼみは、足の洗い場だったそう。
岩を削って、その中に白い寺院が建てられています。
上の写真の、黒い岩肌と削られた部分との境目をご覧いただきたいのですが、僧侶がいる洞窟等では、必ず岩がこのように角度をつけて削られているそうです。この写真では90度に近いですね。
このように岩を削ることで、雨が洞窟の中まで滴るのを防ぐのだそうです。いわゆる水切りの役割ですね。
この技法は、シギリヤロックでも見ることができました。
また、スリランカの寺院には、必ず仏像、仏舎利塔、菩提樹の3つが揃っています。
寺院を訪れる際は、探してみるのも面白いかもしれませんね。
↑仏舎利塔。
↑立派な菩提樹。
それでは、いざ洞窟の中に入ってみます。
第1窟 デーワ・ラージャ・ヴィハーラ
「神々の王の寺院」。紀元前1世紀に最初に造られた石窟です。
生き物が舌をべろんと出しているような門の特徴的なレリーフは、スリランカの他の寺院でもよく見かけました。
石窟いっぱいに窮屈そうに、全長14mの大仏が横たわっています。
こちらの大仏はただ寝ているのではなく、すでに入滅(=悟りの境地に入ること。死去)しているのだそう。涅槃仏といいます。
涅槃仏かどうかの見分け方は、以下の通り。
・亡くなっている場合(涅槃仏)→左足と右足の親指が微妙にずれている
・ただ寝ている場合→左足と右足の親指がそろっている
他にも、目の見開き方が違うそうですが、差が微妙すぎて私にはちょっと区別がつきませんでした。
ちなみに、ダンブッラ石窟寺院の像は、完成したものを後から運び込んだのではなく、この場所で岩をほって作られたのだそう。絶対に失敗が許されませんね。すごい・・・。
上の写真は、涅槃仏のかかと部分の拡大図ですが、たしかに後ろの壁と繋がっているのがわかります(写真は暗い&ピンぼけしていて非常にわかりにくいですが)。
↑壁画。
↑ヒンドゥー教のヴィシュヌ神を祀る祭壇。
涅槃仏の頭部のすぐ隣には、なんとヒンドゥー教の祭壇が置かれています。
これは王がインドから連れてきた彼女(側室?)たちのために造ったのだそう。
仏教とヒンドゥー教が隣り合わせに祀られているのは、日本ではなかなかお目にかかれませんが、スリランカではわりと目にすることができます。
第2窟 マハー・ラージャ・ヴィハーラ
「偉大なる王の寺院」。横約37m、奥行き約23m、高さ約7mという寺院最大の石窟です。40の坐像、16の立像が並ぶ光景は息を飲みます。
↑天井には侵略者との戦いなどが描かれています。
↑怒りの表情の坐像。
第2窟の中には、天井をつたう不思議な湧き水が存在します。。
壁の下の方から天井へ向かって、一筋の水が流れています。
この水がどこから来て、なぜ下から上へと水が流れていっているのかは謎なのだそうです。
壁には、川を模して魚の絵が描かれており、石窟が造られた当時から水が流れていたということが分かります・・・!なんとも不思議ですね。
不思議な湧き水は、こちらの壺へしたたり落ちます。
神聖な水とされ、儀式の際に使われるそうです。
第2窟には大きな仏舎利塔もあります。
上の写真の手前の像は、悟りを開くために嵐の中瞑想を続ける仏陀と、仏陀を雨風から守るコブラです(仏陀のために日陰をつくったともいわれていますね)。
仏陀とコブラの組み合わせの像は、スリランカ人のお気に入りなのか、他の寺院でもよく目にしました。
スリランカ人は、コブラを守護神として崇拝し、たとえ家の中にコブラが出ても殺さないのだそうですよ(そもそも家にコブラが出ることに驚きですが・・・)。
第3窟 マハー・アルト・ヴィハーラ
「大きな新しい寺院」。18世紀にキャンディ朝の王、キルティ・スリ・ラジャシンハラ王(在位1747年~1782年)によって造られました。
大小さまざまな50の仏像が並んでいます。
仏像のサイズぴったりに天井がありますね。外でつくった像を運び込んだのではなく、この場で像をくりぬいたからこそできることですね。
↑キルティ・スリ・ラジャシンハラ王の像。
キルティ・スリ・ラジャシンハラ王は、敬虔な仏教徒です。それにもかかわらず、このように洋風な服装をしているのは、当時はオランダ統治時代であったためです。
↑全長9mの像。
こちらはちょうどつま先が見切れてしまっていますが、左右の親指が揃っていたように見えたので、休息中の寝仏かと思ったのですが・・・。
しかし、ガイドブック等には”涅槃”仏とあるので入滅後なのですかね・・・。誰かお分かりの方がいらしたら教えてください。笑
第4窟 パッツィーマ・ヴィハーラ
「西の寺院」「3人の王様の寺院」。キャンディ王朝末期に造られました。規模は小さめです。
時代によるのでしょうか、一段と色合いが派手です。
ちなみに、こちらの坐像の前のカーテンは、食事(お供え)の時間に閉めるものだそうです。日本も含め、他の国では仏像の前にカーテンが置かれているのを見たことがない気がします。スリランカ特有なのですかね。
ちなみに、ガイドさんによると、寺院の壁画は、シギリヤロックの壁画のようにプロのフレスコ画家が描いたわけではなく、主に住民の手によって描かれたそうです。
そのため、下地の漆喰もとても薄く(シギリヤは厚さ5cmほどもある)、はがれて落ちてしまった部分も多く、画力もところどころあやしいらしいです。
上の写真は、ガイドさんが「ほら、あの絵ちょっと顔が変でしょ」と言っていた絵です。言われてみれば確かにそうかもしれません・・・。
まあしかし、全体としては、壁面を埋め尽くす色とりどりの絵に、素人にもかかわらずよく描いたなあと私は感心しました。
第5窟 デワナ・アルト・ヴィハーラ
この石窟は、いつだれが造ったのかはっきりしていないそうです。 こちらも小さめです。1915年に修復されているため、壁画はくっきり残っています。
第5窟にも、スリランカ人が好む仏陀とコブラの組み合わせの像が。
横たわる像の足元は完全に見切れていますが、こちらも涅槃仏だったかな・・・と思います。ただ、親指がずれているかどうか微妙すぎたので、もう正直、素人目には見分けがつきません。
黄金の大仏
さて、石窟寺院の観光を終えて、露店が並ぶにぎやかな参道を通ってふもとに降りてみるとびっくり、黄金の大仏が目に飛び込みます。実はこの建物は博物館で、この後ろが石窟寺院への入り口だったのだそう。
どうやら、ドライバーさんの配慮か、往路はこの参道をショートカットしてくれ、私たちは山の途中から登ってきたようです。ありがたい限りです。
↑仏像の顎あたりにある黒いものは、蜂の巣だそう(!)。
ガイドさん曰く、「この金ピカの大仏は新しいものだし、とくに見るべきものではないよ」とのこと。
インパクトはすごいですけどね・・・。写真右手に並ぶ袈裟を着た僧侶たちの像もなんとも言えません・・・。
まとめ
ご紹介した5つの石窟のほかにも、周りに80以上の洞窟があるといわれています。
石窟の荘厳な壁画と仏像に、いかにスリランカ人が熱心に仏教を信仰してきたのか、ずっしりと歴史を感じることができました。
また、ひとことに「仏教」「寺院」といっても、日本とは異なるところも多く、見ごたえがありました。仏教のことを、もっと深く調べてみようかな、なんて思いました。
いつか、同じくスリランカの文化三角地帯の世界遺産である、アジア有数の大遺跡群ポロンナルワや仏教徒の聖地アヌラーダプラにも行ってみたくなりました!
以上、ダンブッラ石窟寺院観光編でした。
次回は、ジェフリーバワ建築ホテル・自然と一体化したヘリタンスカンダラマ宿泊編をお送りします。